なんの変哲もない,ただの読書日記

 
 旧題:ブログでいろいろ書いてみる(仮)
 
 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【宗教】 怒らない、その理由 -怒らないこと 役立つ初期仏教法話1

以前読んだ本からのつながり読書。スリランカ上座仏教長老が説く、仏教の感情の科学。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)
(2006/07/18)
アルボムッレ スマナサーラ

商品詳細を見る


仏教において「怒ること」は三毒のひとつ。誰もが持つこの厄介な感情をどうやってコントロールするのか。その答がいきなりやってくる。

「怒らなければいい」

そして、仏教は怒りを上手にごまかす方法などに、関心はありませんよと続ける。怒りたくないのに怒ってしまうという人には、そんなのはウソだねと言い、本当はあなたが怒りたいから怒っている、ただそれだけですよと諭す。そもそも怒るということは「自分はバカです」と言って回るようなものだと冒頭から断言し、そのあとも、怒ったら恥、頭が悪い、負け犬、動物以下などと切って捨てる。
「いやいや長老、怒ることって人間として当たり前の感情だと思うんですが…」そう思いながら読みすすめると、長老がその理由を明かしてくれた。

「スッタニパータ」というブッダが生きている間に語ったことが記されている経典がある。日本では ブッダのことばとして翻訳されており、そのなかの一番はじめに「怒ること」について書かれていると本書で紹介している。

「蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世(この世とあの世、いわゆる輪廻のこと)とをともに捨て去る。 蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」

ブッダが「怒ることは猛毒である」と戒めている、そしてそのことが最も古い経典の一番はじめに書かれている。それほど「怒らないこと」が重要なのだと長老は語る。そしてもうひとつ、ブッダが弟子たちに語ったことが紹介されている。「ノコギリの譬え」というもので、もし、恐ろしい泥棒がやってきて、何も悪いことをしていない自分を捕まえて、「面白そうだから、こいつを切ってみよう」と言われたとする。そして本当にノコギリで切ろうとするその瞬間、「嫌だ」と怒ってはいけない。このときわずかでも怒ってしまったら、ブッダの教えを実践できなかったことになる、というのだ。

「いくらなんでもそりゃ極端すぎるでしょ!?」と思った。が、ブッダが最も信頼を置く弟子が、見ず知らずの者に面白半分に後ろから殴らたときの逸話が書かれている。その弟子は殴られたことを気にも留めず、スタスタと歩き続け、その姿に殴った方が恐れおののき深くお詫びをした。その謝罪に対し「何のことでしょう?」と答え、理由を聞いて「そうですか。私は気にしていませんよ」と相手を赦し、殴った方は感銘を受け、そのまま弟子になったという。この逸話から察するに、仏教徒にとって「ノコギリの譬え」は、あながち極端なことではないのだろう。

「怒らない」、そのこと自体がすごく重要だということは十分納得できる。ただ、やっぱり深いレベルで違和感が残るのは凡人が故か。「世俗から離れているから言えるんじゃないの?」などと相当バチ当たりなことを考えてしまう。それでも、なんとなくわかったことがある。

相手が怒っても、自分が怒っていい理由にはならない。
挑発されたとしても、怒ってもいい理由にはならない。
無視されたとしても、怒っていいい理由にはならない。
理不尽な扱いを受けても、怒ってもいい理由にはならない。
罵られ、侮辱されても、怒っていい理由にはならない。
たとえ殴られても、怒っていい理由にはならない。
生きがいを奪われたとしても、怒っていい理由にはならない。
何があっても、何をされても、自分が怒っていい理由など、ない。

では、怒らないですむコツはあるのか?
怒りが生まれる根本に「自分が唯一絶対正しい」という心があるから、「自分は不完全で間違えることがある人間である」ことを深く自覚し、謙虚になることが大事であると説く。そして、もし怒りが湧き上がったときには、その感情をそのままそっくり表に出すのではなく、一度怒りの感情を客観的に観るのがいいという。「あぁ、自分は今怒っているな。イライラしているな」というように(メタ認知ってやつですな)。
怒ってくる相手への対処法も教えてくれている。相手にとっての鏡になれという。相手の怒りを「そうですね」「あぁ、あなたは今怒っているのですね」という具合に相手の感情を理解してあげる。この方法は以前なにかの本で知り、クレーム処理の際に一番気をつけていたことでもある。相手の怒りをそのまま返答してしまうと、お互いヒートアップしてしまい、どちらかが折れるまで戦い続けることになる。クレーム処理を説得の技術と思っている人がこのパターンに陥りやすいように思う。新人にも教えていたことは、相手の怒りの感情を冷静にしっかり受け止め、怒るのは当然だと態度で示し、解決のために現状を詳しく教えてほしいと訴えるのが大事だということ。この方法だと、はじめは怒りの言葉が続くが、現状を話してくれている間に冷静になってくれて、一緒に解決へと協力してくれるようになることが多かった。(まぁ、それでもダメだったケースもありますけどね...)

それでも、だ。それだけでうまくいくほど俗世はラクではない。クソッタレな上司(個人的な恨みだが)には怒りでこちらの態度を示さなければ、調子に乗って付け上がってくることがある。そんなことで怒っちゃいけないのはわかっているが、今でもチリチリと怒りの火の種が湧き上がってくる。自分なりに理論や正論を真正面にぶつけず、相手の言い分を聞き、冷静に意思表示をしたとしても、怒り任せに理不尽な要求を突きつけ受け入れるよう強要してくる人間。自分の居場所を守るためにも、あえて怒りを示さなければならない場面があるんじゃないのか?

そこであらためて本書を読む。おそらく長老ならばそんな場面に出くわしたとしても平然と「怒らないこと」をやってのけるだろう。怒りが発生するよな環境に身を置かない、というのでは不十分で、どんな場面でも「怒らないこと」が肝心であると何度も何度も書いてある。たとえ、自分の居場所が失われることになったとしても、そのままひょうひょうと怒らず、そのことを受け入れるだろう。実際に会ったことなどないが、この本からそんな長老の態度が見て取れる。なぜ、そんなことができるんだろう?

あ、と思った。

これはあくまで深読みだが、もしかしたら長老は、自分の居場所などというものに関心がないのかもしれない。自分が生きていくうえで必要な場所、収入を得る場所や住む場所、自分を認めてくれる場所といったものに関心がないのかもしれない。ただ関心があるのは仏の道。以前読んだ池上彰の宗教がわかれば世界が見えるの対談の中で、ある住職が「仏教で癒されるなんてとんでもない、仏教はもっと恐ろしい体系ですよ」と語っていたことを思い出す。苦しみに満ちたこの世から抜け出し涅槃に入ることを目指す仏教。もしかしたら仏教は、この世で生きることにそれほど関心を抱いていないのかもしれない。だからこそ「怒る必要がない」。

そう思ったとき、すこし寒気がした。本当のところはどうなんだろ。もう少し仏教について追いかけていこうと思う。



怒らないこと 役立つ初期仏教法話1 もくじ
第1章 「怒り」とは何?
「怒り」について誰も知らない/誰も彼もが「怒りたい」/人間とは「怒り」と「愛情」で生きている/「怒り」が生まれると「喜び」を失う/「暗い感情」(dosa)が強くなると「怒り」(vera)になる/世の中の破壊の原因は「怒り」/仏教は感情を人格化しない/「ゴキブリは気持ち悪い」のは自分のせい/鶏にとってゴキブリはご馳走/感情の物差しは人によって違う/刺身は美味か?残酷か?/自分を正せば、幸福に生きられる/「私は正しい」と思うから怒る/「私こそ唯一正しい」が人間の本音/「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない/言葉は正しくない/優しくしても、嫌われて当たり前/努力はしても、結果は求めない/怒る人々が思うこと/ののしられたら怒る/いじめられたら怒る/負かされたら怒る/盗まれたら怒る/嫌なことを反芻してさらに不幸になる/くだらない妄想概念がが怒りをつくる/エゴが妄想概念をつくる/エゴ→無知→汚れ→怒り/怒り癖はなかなか取れない

第2章 怒りが幸福を壊す
拒絶のエネルギーが強烈になると…/怒るのは仕方がないこと?/「怒りの人生」に喜びはない/人間は喜びなしでは生きられない/怒りが私たちの命を脅かす/「正しい怒り」は存在しない/「殺してもいい」は成り立たない/どこまでも赦してあげてください/怒りは自分を焼き尽くす「火」/「怒り」が気づかないうちにからだを壊す/病気がすぐ治る人、いつまでも治らない人/怒る人は幸せの大泥棒/怒りはすぐに伝染する/支配者は危険な人種/相手を倒す前に自分が壊れる/「怒る人ほど頭が悪い」という真理/怒り続けると「怒りそのもの」になる/怒りの人間は動物以下

第3章 怒らない人
いちばん強烈な罰、それは無視/本当の「無視」は難しい/お釈迦さまを困らせた運転手/お釈迦さまが与えた罰「ブラフマダンダ」/自分で反省しなければ意味がない/自分がした「悪いこと」を分からせる/突然、人に殴られたらどうする?/偉大な人ほど謙虚でいられる/「面子」は醜い/アインシュタインの謙虚/怒ったら、怒らないこと/脱皮のように「怒り」を捨て去る/怒らない人だけが勝利者になれる/壊れた鐘のようになれ/怒る原因がないときは誰でも立派/どんな心で叱られても、怒らないこと/何があってもびくともしない心をつくる

第4章 怒りの治め方
自分の心にある「怒り」に気づくこと/怒りを「抑える」「我慢する」は大間違い/怒りを観られた瞬間、怒りは消える/怒ったら「自分は負け犬」と言い聞かせる/動物の世界でも、強い者ほど怒らない/負け犬の母親を持つ子供は不幸/「怒らないこと」と「甘やかすこと」は違う/本当の愛情や自信があれば話は通る/「何をされても怒らない」を自分に課す/正しい「平等」を理解する/「生きがい」などにこだわらない/人生を破壊するほどの問題なんてない/エゴは自分の足枷/「自分は偉い」というエゴを捨てる/「自分はダメな人」というエゴを捨てる/エゴを捨てれば自由になれる/「他人に負けたくない」というエゴを捨てる/自分がすべきことを精一杯するだけでよい/小さな「成功」をつなげて人生をつくる/怒りではなく「問題」をとらえる/相手の怒りには「智慧」で勝つ/攻撃には水晶玉のように対応する/「きつく教えること」と怒りとは違う/やりたい放題の人には鏡を見せる/笑えば怒りは消える/笑える人ほど智慧がある/智慧と理解がユーモアと幸せを生む/智慧の笑い、無知の笑い/「笑い」を目的にしてはいけない/笑う力を鍛えると、世の中は面白い/おかしいことを見つけるのは簡単/心を鎮めて状況を把握する/怒らずにいられない人とのつき合い方/他人が吐いたゴミを食べる必要はない/「怒らないこと」は奇跡をもたらす/平和を語る人が強者/誰もが幸福に生きられる

スポンサーサイト
 
Comment
 






(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
 
Trackback
 
http://darahadaraha.blog8.fc2.com/tb.php/173-cedd94f0
 
 
 
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。